MEMORANDUM

  トンネル越えれば

♪ 今は山中 今は浜
  今は鉄橋渡るぞと
  思う間も無く トンネルの
  闇を通って広野原

  文部省唱歌 「汽車」(作詞:不詳,作曲:大和田愛羅,1912)

◆ 奥多摩に廃線になった鉄道跡があった。橋があった。スタンド・バイ・ミーごっこがしたくなる。鉄橋ではなく、コンクリート橋なのがちょっと残念。汽車が来るはずもないので、走る必要もなくのんびり歩く。その先にトンネルがあった。ちょっと入ってみたが、すぐ引き返す。トンネルで思い出したのが、小学生のころに聴いた、南こうせつとかぐや姫の「ひとりきり」という歌のこのフレーズ。

♪ 汽車は行くよ 煙はいて
  トンネル越えれば 竹中だ

  かぐや姫 「ひとりきり」(作詞・作曲:南こうせつ,1972)

◆ この「竹中」は地名で、南こうせつの生まれ故郷である大分県大分市竹中のことだそうだ。大分から豊肥本線に乗ると、5つめが竹中駅。地図を見ると、たしかに竹中駅の手前にはトンネルがある。というようなことを知ったのはついさっきで、ということは、ついさっきまでは、この竹中の意味がよくわかっていなかった。小学生のワタシは、歌詞にローカルな地名が使われるなんて、考えてもみなかった(しかし、どうして、たとえば「ふるさと」ではいけないのだろう?)ので、「今は山中 今は浜」の山中と同じようなものだと思っていた。トンネルを抜けると、竹の中。竹がたくさんあるところ。つまりは竹林か。暗いトンネルから出たと思ったら、今度は竹の林? そんな風に理解して、ちょっとすっきりとしなかった。いや、ほんとうは、この歌詞をつっこんで考えてみたことなど一度もない。ただ、鉄道に乗ると、トンネルというものがあって、それだけでわくわくして、トンネルを抜け出たときには風景が一変しているだろうという期待だけで十分だった。そのあとは、山中だろうが街中だろうが、竹ん中だろうが藪ん中だろうが、どうでもいい。

◆ 東京方面から新幹線に乗り、京都が近づいて、「まもなく京都」という車内放送が流れるころに、トンネルに入る。トンネルから出て、ここが京都かと思っていると、またトンネルに入ってしまう。そのトンネルを出ると、ようやく京都駅に着く。そのトンネルとトンネルのあいだにワタシの故郷の山科がある。もし、ひとつめのトンネルを出たときに、ここが京都だと思って(山科も京都なのだが)、東寺の五重塔なんかをきょろきょろ探してみた方がおられたら、ちょっとだけ申し訳なく思う。

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